その孤独は、誰が支払っているのか
「孤独な天才」という分類装置について

Adobe Stock kai.jp 窓ガラスに付いた雨粒
「アーティストは孤独でなければならない」
この言葉を、私はこれまで何度も聞いてきた。
作品をつくるには、一人で考える時間が必要だ。誰にも理解されない場所まで降りていかなければ、見つからないものもある。その意味で、孤独はたしかに創作の一部なのだと思う。
けれど、いつの間にか孤独は、制作のための一時的な方法ではなく、「本物のアーティスト」であることを証明する資格のように扱われてはいないだろうか。
会社を経営している。AIを開発している。大学で教えている。ラジオで人と話している。そして、アーティストでもある。
私がこう自己紹介すると、ときどき微妙な反応が返ってくる。
「結局、何をしている人なんですか」
一つに絞らなければならないらしい。
会社経営者なのか。教育者なのか。AIエンジニアなのか。アーティストなのか。社会は私たちに、職業欄のチェックボックスを一つだけ選ぶよう求めてくる。
そして美術の世界でも、複数の肩書きを持つ作家は、「まだ芸術だけでは食べられていない人」「制作に専念できていない人」と見なされることがある。
それは、ずいぶん先入観に依存した分類モデルだと思う。
以前、スタンフォード大学のCantor Arts Center館長であるVeronica Robertsさんと話したとき、彼女は私にこう言った。
「アーティストは、孤独になってはいけない」
彼女が企画した展覧会《Day Jobs》は、アーティストたちが作品制作とは別に従事していた仕事と、その仕事が制作に与えた影響を検証した展覧会だった。
Mark Bradfordは母親の美容室でヘアスタイリストとして働き、Barbara Krugerは雑誌のエディトリアルデザイナーをしていた。Sol LeWittはMoMAの受付係、Julia Scherはセキュリティシステムの設置業者だった。《Day Jobs》は、36人の作家による90点以上の作品を通して、そうした仕事が単なる生活費のための迂回路ではなく、素材、技法、社会との接点、そして作品の思考そのものを生み出していたことを示した。《Day Jobs》展覧会情報
たとえばJeffrey Gibsonは、IKEAでアクティビティ・マネージャーとして働いていた。そこで得た、色や照明、家具の配置によって人の身体を空間の中でどう動かすかという感覚は、後の展示空間の構成と切り離せないものになった。Jeffrey Gibsonのインタビュー
元公選弁護人のSara Bennettは、刑務所に収容された女性や出所した女性たちを撮影してきた。彼女が作品を可能にしたのは、弁護士として築いたネットワークだけではない。「この人は私たちを傷つけない」という信頼だった。Sara Bennettのインタビュー
彼女たちの仕事は、作品の外部にあったのではない。
仕事そのものが、作品を見るための眼をつくっていた。
それにもかかわらず、美術史は成功した作家の経歴を後からきれいに編集する。「美容師をしていた時代」「受付で働いていた時代」は、アーティストになる前の助走期間として処理される。成功した瞬間から、それ以前の労働はノイズとして除去される。
Veronicaは、「芸術だけに集中できることを才能や野心の証拠だと考えるのは間違っている。それは才能ではなく、経済的特権だ」と指摘している。Stanford Reportのインタビュー
考えてみれば、「孤独なアーティスト」は、誰の助けも借りずに存在しているわけではない。
家賃を支払える資産があるかもしれない。生活を支える家族がいるかもしれない。食事や育児や事務作業を、別の誰かが引き受けているかもしれない。アシスタントや技術者やギャラリーのスタッフが、作品の周囲で働いているかもしれない。
そのとき、アーティストの孤独は自然に発生しているのではない。
誰かの労働によって、人工的につくられている。
「孤独な天才」という物語は、その孤独を可能にした人々をフレームの外へ追い出す。そして、孤独を購入できなかった人、育児や介護を担う人、生活のために働かなければならない人を、「芸術に専念していない」という理由で選別する。
つまり孤独の神話は、美談であると同時に、作家を分類する装置でもある。
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- 作品は、その矛盾と共犯性の中から生まれている。
- AIの分類モデルも、本当は最初から一つの答えだけを持っているわけではない。
- けれど、人間は最終的な出力ラベルではない。
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